二名匠の碑 (にめいしょうのひ)

「二名称の碑」は、水戸が生んだ彫金術「水戸彫り」の名工、初代海野美盛(うんのびせい)(〜1862)、萩谷勝平(はぎたにかつひら)(1804〜1886)両氏の技をたたえ明治43年11月に建立したものです。
建立者として、背面には二翁に関わりの深い海野勝aはじめ二代海野美盛(東京美術学校教授)、小泉勝親(日本金工協会長)および川上勝俊(日本金工協会彫金部長)の名が刻されています。
初代海野美盛は通称を太三郎、号を起龍軒といい玉川美久に師事しました。
また萩谷勝平は通称彌介と称し、生涼軒と号しました。
穏やかで人情厚く酒を愛し、風雅を愛した二人ですが、その技術の趣は異なっていました。
萩谷勝平は専ら古法を守り、 生気に満ちあふれ多岐にわたる意匠に対し、海野美盛は古法にはあまりこだわらず、限りなく精緻な技巧を用いました。二翁の巧な技は人間の域を超えていると碑文は評しています。
この彫金技術が斉昭公の奨励のもとに発達したことが記載してあります。

撰文:菊池謙二郎
書:北条時雨
碑の上部の竜と獅子の原図:海野勝a(うんの しょうみん)


二名匠の碑

二名匠の碑
花から新緑へと移ろう梅の樹

 

二名匠の碑

二名匠の碑
海野勝a刻する碑上部の竜と獅子
海野勝a(うんの しょうみん)(1844〜1915)金工家、水戸生まれ

 
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